過去最高に早い朝
前日、妹の夜中脱走事件が起こったせいで寝不足。なのに、今年の18切符の旅の中では一番早い出発時間。
今回は、旅を全くしたことがない叔母を連れての二人旅。長崎に行くのも初めてというので、引っ越す前に
連れて行ってあげることにした。
博多を6時33分に出発。鳥栖までは鹿児島本線、その後は佐賀を通って長崎へ行く長崎本線。
一人旅と違って話す相手がいるというのは、かなり久々の体験。いつもいつも誰かが一緒だと面倒だけど、
たまには、二人で話しながら楽しむ旅も新鮮。
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早岐駅で50分くらい待ち時間があった。恒例の知らない町散策。
こういうことでもない限り、降りることのないだろう町を歩くのって
楽しい!
早岐の次はハウステンボス。
右側に乗っていると見える。
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今回は、佐世保線→大村線→長崎本線というちょっと遠回りな行き方をした。佐賀からしばらくすると、肥前山口と
いう駅がある。ここで佐世保線と長崎本線に分かれる。
長崎へ行くなら長崎本線のほうが近い。(佐賀すぎで下へ行く路線。有明海沿いを通るやつ)
でも、特急に乗らないなら遠回りでも佐世保線のほうが、本数が多かったりする。
鳥栖から長崎の間、吉野ヶ里公園駅をすぎたあたりで、右側に吉野ヶ里遺跡の高床式倉庫なんかが小さく見える。
有田では有田焼の窯元を見ることができる。
武雄温泉や嬉野温泉といった有名な温泉地も通るし、海の景色も楽しむことができる。なんだか、色々な
車窓に富んだ旅ができるんだな〜(大村線に乗る人は、右側の席が絶対におすすめ!)
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長崎に到着!
11時12分、長崎駅に到着。
雨が降っていたりしたからか、降りたらモワ〜っと湿気がすごい。それでも、雨があがっててよかった〜
毎回のことながら、必ず雨と遭遇するなぁ。。。
どこに行くかとか全く決めていなかったし、とりあえず観光案内所に入って地図やパンフをゲット。なんにも
調べてこなくても、こういった施設で聞いたらなんでも分かるから便利。
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長崎駅はかなり近代的!
でも、駅前には今でも路面電車が通っていて、レトロな感じと新しい感じが
同居しているような雰囲気。
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電車を待っている間に、長崎の人のシートベルト度をチェック!
テレビで、全国で一番シートベルト率がいいのは長崎県人だとでていたんだもん。行きかう車をひたすら見たんだけど、、
本当にみんなシートベルトしてる〜!すごい!!(当たり前か・・)
福岡じゃ、してない人4割りくらいなんじゃ?って感じなのに。シートベルトはみんなしてるし、携帯で話しながら走行
してる人もいない。たまたまとしても、やっぱり少ないことに違いはない。
長崎の県民性として「生真面目」だと言うんだけど、はずれてはいないなぁ〜
世界が平和でありますように・・・
長崎といえば
原爆を落とされた町であることは誰でも知っている。
観光地としての長崎とは別の顔。それでも、長崎に行ったらやっぱり寄ってほしいのが平和公園。
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のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
−あの日のある少女の手記から
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とっても緑が綺麗な噴水のある公園。一見なんのへんてつもない公園だけど、人々が平和を祈る公園なんだと
思うと、とっても悲しい気持ちになった。
ここは爆心地のすぐ近くに作られている公園で、8月になるとよくテレビで見る場所。中央には平和の銅像が
あって、千羽鶴が飾られている。
この銅像には意味があって、空に向けられた手は原爆を、横に広げられた手は平和を意味している。目は軽く閉じてあり
人々の冥福を祈っているんだとか。原爆での死傷者は15万人。そのあとでも、被爆者たちは苦しんで苦しんで死んでいった。
この銅像には、長崎の人たちの平和への願いがこめられているんだと思う。
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平和公園から歩いて10分くらいの場所が原爆落下の中心地。
このモニュメントの真上で原爆が爆発して、ここは町という形を失った。
小学生の頃、修学旅行で来たときとは違った感覚になった。
大人になって感じることは、戦争をなくすことの難しさとなくならないことへのもどかしさ。
簡単なことなのに、それを実行できない人々の愚かさ。
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ここでは、原爆落下時の地層が公開されている。地層の中には、当時の茶碗や瓦なんかが一緒に埋まっていて、
この土地の下でたくさんの命が消えていったんだと、あらためて実感した。
もともと、北九州の工業地帯が原爆落下予定地だったのに、天候不良で三菱重工のある長崎になった。もし、
福岡に落とされていたら、、、私はこの世にいないかもしれない。人の命なんて、いろんな偶然や運命のもとに
成り立っていて、私だけのものじゃないんだと思う。ここで死んでいった人たちだって、私と同じように旅をしたり
恋愛で泣いたり笑ったりしたかったんだろうな。
原爆を落とされて焼け野原になった町。この土地に100年は草花は生えないだろうと言われていた土地に、木々が根を
下ろして命を育んでいる。その時代を生き抜いてきた人は、子孫を立派に残している。
この町で死んでいった人や草花たちは、今の私たちをどう思っているのかな。。。